咸同起義とは? わかりやすく解説

咸同起義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 17:27 UTC 版)

張秀眉」の記事における「咸同起義」の解説

貴州省台拱庁出身幼くして父母をなくし、地主の家で働いた張秀眉生まれる約90年前に清朝少数民族土司による自治廃止して中央から官僚送り込む改土帰流」という政策をとった。これにより各地漢族地主入り込むようになり、大多数ミャオ族清朝官吏漢族地主一部民地主の収奪を受けるようになったそのような背景のもと、1855年に台拱で貧し民が税の軽減求めると、清朝官吏漢人地主団練組織させ、民の殺害許した。こうして民たちは張秀眉指導のもとに蜂起し、丹江庁を占領した民軍は1856年から1858年の間に、清江庁・台拱庁・鎮遠府などを占領し各地に砦を築いて貴州省東南部支配した。このとき羅光率い斎教徒・姜映芳率い侗族トン族)・劉儀順率い灯花教徒号軍)・張凌翔率い回族白旗軍)など、貴州各地民衆蜂起があったが、張秀眉はこれらの勢力提携して湖南省まで勢力伸ばした。 しかし1864年太平天国滅亡すると、席宝田率い湘軍貴州蜂起鎮圧にあたることになった民軍は幾度か湘軍撃退したもののやがて追い詰められていき、1870年には台拱庁が、1871年には丹江庁が陥落した1872年張秀眉は清軍に決戦挑んだ敗北し捕らえられ長沙で斬られた。

※この「咸同起義」の解説は、「張秀眉」の解説の一部です。
「咸同起義」を含む「張秀眉」の記事については、「張秀眉」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「咸同起義」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「咸同起義」の関連用語

咸同起義のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



咸同起義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの張秀眉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS