和歌山県民歌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 和歌山県民歌の意味・解説 

和歌山県民歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 15:02 UTC 版)

和歌山県民歌

県民歌の対象
和歌山県

作詞 西川好次郎
作曲 山田耕筰
採用時期 1948年
言語 日本語
テンプレートを表示

和歌山県民歌」(わかやまけんみんか)は和歌山県が制定した県民歌である。混声四部合唱。作詞・西川好次郎、作曲・山田耕筰

解説

1948年昭和23年)、ある篤志家が和歌山フィルハーモニック・ソサエティー委員長の竹中重雄に「県の再建につながり、後世に残るものを何か考えてほしい」と提案した[1][2]。竹中はこの提案に対して県民歌の制定を思い立ち、作詞部門に佐藤春夫、作曲部門に山田をそれぞれ選者に迎えて一般公募を実施した[2]。作詞者の西川好次郎は詩人で後の1976年(昭和51年)には和歌山県文化功労賞を受賞しており[3]、応募作の入選に際して「南国紀州を愛する熱情を傾けて作詞した。まことに胸底から沸き上がる平和へ、勤労へ、希望へ真心に燃えての作です」とコメントした。また選者の佐藤は「情緒豊かに明朗で県民性がよく現れている」との選評を残している[2]。曲は該当作がなく、選者の山田が自ら作曲した[3]。翌1949年(昭和24年)に製造されたSPレコードの歌唱(創唱)者は藤山一郎で、1970年(昭和45年)には立川澄人が歌唱するカバーが翌1971年(昭和46年)開催の黒潮国体に合わせて発表された[4]。旋律は2015年平成27年)12月31日に著作権の保護期間を満了している。

制定された後も県の行事以外に演奏される機会は少なかったが、2000年代に入り県庁で電話の保留音として使うようになった[2]ほか、1979年(昭和54年)に大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で録音されたレコードを原盤とするCDを県内の学校に配布するなどの普及活動が行われている[5]。またテレビ和歌山では、放送開始・終了告知のBGMとして1番を県内の風景映像とともに流している。

歌碑

1985年(昭和60年)に作詞者の西川が生涯を過ごした美山村の住民747世帯が集めた270万円の浄財を充て、村役場(のち日高川町役場美山支所)近くに西川の顕彰碑が設置された[6]。この顕彰碑と並べる形で3基の歌碑が設置されているが、そのうちの1基は「和歌山県民歌」全3番のものとなっている[7]

脚注

  1. ^ 中山 (2012), p. 308
  2. ^ a b c d “みずみずしい県民歌”. ニュース和歌山. (2007年11月7日). http://www.nwn.jp/column/enkeikinkei20071107.html 2013年10月27日閲覧。 
  3. ^ a b 和歌山県民歌の誕生
  4. ^ 平成21年1月27日 知事記者会見
  5. ^ “和歌山県民歌CD配布サンプリング”. サンプリング.jp. (2009年2月5日). http://www.sampling.jp/article.php/20090205111248407 2013年10月27日閲覧。 
  6. ^ 「西川好次郎歌碑」『朝日新聞大阪本社和歌山県版、2005年1月14日付
  7. ^ 美山村史 (1997), pp. 1171-1172

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「和歌山県民歌」の関連用語

和歌山県民歌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



和歌山県民歌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの和歌山県民歌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS