周防・仁保氏とは? わかりやすく解説

周防仁保氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:56 UTC 版)

仁保氏」の記事における「周防仁保氏」の解説

地頭として関東から周防国吉敷郡仁保荘(現在の山口市仁保地区)に下向した桓武平氏三浦氏支流平子(仁保)重経から始まる一族である。平子重経は源頼朝家臣で、平氏滅亡後周防国吉敷郡仁保等の所領得て建久8年1197年)に仁保荘、恒富保の地頭職任じられ周防国下向して土着した。 鎌倉時代末期後醍醐天皇による鎌倉幕府追討で、仁保氏鎌倉幕府方に味方し所領を失う。南北朝の争乱では、足利尊氏一貫して従い、その所領回復した。 この仁保氏は後に周防国長門国中心に活動した守護大名大内氏仕え、その被官として活動大内氏滅亡後次いで周防国支配した毛利氏仕えた仁保氏菩提寺である源久寺には木造平子重経坐像があり、重要文化財指定されている。平成3年1991年)に大英博物館開催された「鎌倉彫刻展」にも出品展示された。

※この「周防仁保氏」の解説は、「仁保氏」の解説の一部です。
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