周辺領域の鎮定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:47 UTC 版)
1494年11月6日、セリム1世の息子としてアナトリア半島北東のトラブゾンで誕生。マムルーク朝を滅ぼしてシリア、エジプトのアラブ地域を初めて征服した父が不在の間は所領としてあてがわれたマニサの軍事長官を務めていたが、父が在位わずか8年で1520年に没すると首都イスタンブールへ帰還・即位した。前回と前々回のスルタン死去の際には熾烈な後継者争いがあり、後継者になれなかった王子やその子らがほとんど全員処刑されるといった経緯があったが、セリム1世死去の際にはそうした争いはなく、スムーズにスレイマン1世が即位した。スレイマンの他に男児の記録はないことから、スレイマンが唯一の後継者候補だった可能性が示唆される。 若くして東ヨーロッパから中東にまたがる帝国の支配者となったスレイマン1世は即位の同年にシリア知事の反乱に直面、翌1521年にアナトリア中央でイランのサファヴィー朝に通じた部族の反乱も勃発したが、スレイマン1世はいずれも1521年の内に鎮圧して足元を固め、ヨーロッパ方面に向けた遠征を計画した。
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