周回誤認事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 06:36 UTC 版)
1981年12月30日に行われた第10回競走では、ダイサンフジタカ号に騎乗した愛知県競馬組合所属の騎手・井手上慎一が周回を誤認する事象があった。1981年当時の施行距離は笠松競馬場最長の2500メートルで、ゴール板を3度通過・コースを2周してゴールすることとなっていた。また、スタート地点が同じで周回数の1周少ない1400メートル戦が存在していた。 1981年当時の1着賞金は1300万円と現在の4倍以上の賞金を誇る一大レースであった。笠松競馬場には2万8千人を超える観衆が詰めかけたと言われている。有力候補であった愛知のヒカリデュール(翌年JRAに移籍し朝日チャレンジカップ、有馬記念を勝つ)が右前肢の跛行で発走当日に出走を取り消し、本命不在でのレースとなった。1番人気に押し出されたのが、この事件の主役となるダイサンフジタカで、東海菊花賞3着からの参戦であった。この馬もまた後に中央へ転出し当時の800万下条件(現・2勝クラス)を勝つ馬であり、岐阜日日新聞(現・岐阜新聞)本紙予想では「昨今の充実度がすごい。東海菊花賞を3着した実力が爆発しそう」と能力を評価されている。
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