告白と刑死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:50 UTC 版)
パンズラムは1928年に逮捕されてワシントンD.C.に拘置中にいくつかの殺人を自白しているが、立証には至らず不法侵入・窃盗についてカンザス州レブンワースの連邦刑務所での懲役25年を言い渡された。またこのとき着任したばかりの看守ヘンリー・レッサーと知り合った。レッサーが囚人を通じて1ドルを渡すと、生まれて初めての恩義に感じたパンズラムは涙を流した。レッサーは筆記具を渡し、その悲観主義的な人生観(パンズラムはショーペンハウエルを読んでいたらしい))に至る過去を書き記させた。上の犯罪歴はおおむねこの手記に拠っている。 投獄されたパンズラムは数か月後に洗濯場の作業監督を鉄棒で殴り殺して起訴されたが、彼は明確に死刑を望んで抗告を拒み、弁護人も断った。この間にもレッサーとの手紙の往復は続き、カントの『純粋理性批判』や雑誌を送らせて読んだり、精神異常とされないように気を遣ったりしている様子がうかがえる。結局彼は最後まで一切の反省も後悔もすることなく、1930年9月5日、絞首刑に処せられた。執行人に最期の言い分を尋ねられたパンズラムは「さっさとしろよ、田舎者め。おまえがもたもたしてるうちに、俺なら10人は殺せるぞ!」と罵った。
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