名金急行線開設の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:40 UTC 版)
中京経済圏の発展に伴う郡上・飛騨地方ならびに北陸地方との交流が年々増大する中にあって、これらの地方を直接的に結び付ける輸送機関がないという情勢に鑑み、同路線は沿線各地方の産業開発を促進するため、あるいは蛭ヶ野高原、白川郷、五箇山といった観光地に対する観光輸送を担う目的を以て開設された。このような北陸地方と中京地方を結ぶ自動車路線は、戦前より求められていたものであって、1947年(昭和22年)9月15日には東礪波郡城端町において行われた白城線期成促進大会において名古屋港と伏木港を結ぶ「中部日本横断の大動脈たる国鉄予定線白城線の実現を期す」ことが決議されている。
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