名称・記憶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 14:14 UTC 版)
1588年にフョードル2世が、大聖堂東側にあった佯狂者ワシリイ(Василий)の墓の上に聖堂を建設して以後、ワシリー大聖堂の名で親しまれている。"Василий"は「ヴァシーリー」「ワシーリー」「ワシリー」などの転写例があるが、正教会の大聖堂のものであるため、本記事の名は日本ハリストス正教会による伝統的な転写に拠っている。 正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」(Собор Покрова что на Рву )である。Покровский собор(ポクロフスキー サボール)という呼称もあり、この前半部が片仮名で転写されたのが「ポクロフスキー大聖堂」の表記である。Покров(ポクロフ…「庇護」を意味するロシア語)に由来する名であり、生神女庇護祭(Покров Пресвятой Богородицы)を記憶する大聖堂であることを示している。 ロシアのレニングラード州と、ウクライナのハルキウ(ハリコフ)にも「ポクロフスキー大聖堂」が存在すること(ru:Покровский собор (Гатчина)、ru:Покровский собор (Харьков))にも看られるように、生神女庇護祭を記憶する聖堂(ポクロフスキー大聖堂・ポクロフスキー聖堂)は世界中各国の正教会に多数あり、日本ハリストス正教会でも横浜、静岡、大阪の聖堂は生神女庇護聖堂である。 ただし、日本で「ポクロフスキー大聖堂」と言えば、当記事で扱っている、赤の広場に面した、聖ワシリイ大聖堂の異名を持つポクロフスキー大聖堂を指すのが一般的である。世界的にみても最も知名度の高い生神女庇護大聖堂である。
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