名取郡の誤字説とは? わかりやすく解説

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名取郡の誤字説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/31 03:26 UTC 版)

丹取郡」の記事における「名取郡の誤字説」の解説

軍団改称記事から、丹取郡玉造郡継承されたとする説は江戸時代からあったが、1970年代まではむしろこれを名取郡誤りとする説が有力であった。これには、8世紀初めに多賀城設置されたのを対蝦夷国境警備の城とみて、多賀城より早くそれより北に郡が置かれるのはおかしいとする考えがあった。 しかし、古墳時代古墳奈良時代瓦窯発掘が進むと、名取郡多賀城付近も、国境地帯とみなすことはできなくなった名取郡には東北地方最大雷神山古墳、北隣の宮城郡には遠見塚古墳があり、中小古墳まで含めると多数古墳継続的に築かれている。奥羽山脈越えれば8世紀初めまでに陸奥国管内最上郡置かれており、名取郡設置それより下るというのも不自然である。また、その頃玉造郡周辺にまだ郡がなかったとすると、養老2年718年)に陸奥国から石城国が6郡、石背国が5郡をもって分割されたとき、陸奥国には名取郡と南隣の柴田郡、北隣の宮城郡程度しか残らなかったことになる。北辺支える国としては狭すぎる感がある。 後に、名取郡にあたる郡山遺跡7世紀以降官衙遺跡判明し8世紀初め名取に郡が置かれていなかったとする説は支持しがたくなった。また、多賀城創建時724年)の瓦を城より北に離れたところにある窯で焼いていたことから、多賀城国境警備の砦として置かれたとは考えられなくなったこうしたことから、丹取郡玉造郡前身とするのが定説になった

※この「名取郡の誤字説」の解説は、「丹取郡」の解説の一部です。
「名取郡の誤字説」を含む「丹取郡」の記事については、「丹取郡」の概要を参照ください。

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