同志社総長時代
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大正9年(1920年)より第8代同志社総長をつとめ、学内の財政健全化などに着手するが、当時に既得権益を得ていた理事会との間に度々の摩擦を生じさせる。その中で体調を崩し昭和3年(1928年)に一時的な病気療養に入る。だが、療養中の同年11月23日、同志社有終館予科教室にて失火騒動が起こり、これをきっかけとして同年11月25日に理事会の総辞職が発生し、第8代総長の任を解かれる。この件はのち同志社を二分する学校騒動になり、上述の中島重をはじめとした海老名を慕う一部教授陣の解職および彼らを慕う学生たちの抵抗騒動にまで発展した(同志社騒動)。 同志社を去った後は東京に戻り、昭和5年(1930年)2月に本郷教会の名誉牧師となった。
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