吉田敏明監督時代
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「パイオニアレッドウィングス」の記事における「吉田敏明監督時代」の解説
2006年にアリー・セリンジャー監督が退任し、自身の下でコーチを務めていた経験もある吉田敏明に後任を託す。2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグから呼称変更)では、リーグ開幕直前にユデルキス・バウティスタが故障するハプニングに見舞われる。代替要員として加わる事となったエリザベス・バックマンの合流も遅れ、序盤からつまずく。レギュラーラウンド4位に入り、何とかセミファイナルラウンドに進出するも、1勝2敗で決勝進出はならず、3位でシーズンを終える。2007/08プレミアリーグは、レギュラーラウンド最終戦で白星のなかった日立佐和に勝てばセミファイナルラウンド進出となる立場だったが、フルセットの末敗戦。それによって5大会ぶりにセミファイナルラウンド進出を逃す。 2008/09プレミアリーグでは、シーズン中に企業の業績不振の影響で存続を検討する見解が出された。しかし、チーム存続の署名活動も行われ、ホームゲームの盛り上がりも良好だったため、地域に密着していると判断されて、存続の見解が示された。リーグでの成績は、調子がなかなか上がらずに負けが先行する。チーム存続の見解が示された時は調子を上げたものの、セミファイナルラウンド進出には届かず6位で終えた。2009年6月、吉田監督が3年契約満了となり、契約を更新されず退任となる。そして、主将の庄司夕起、内田役子をはじめとする6選手も退団。チームの大幅なモデルチェンジが余儀なくされる。なお、退団した6選手のうち、庄司ら4選手は、吉田監督が入団した上尾メディックスに入団した。
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