司令官クック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 10:21 UTC 版)
10月にサンタフェに到着すると、カーニー将軍は、その時には中佐になっていた、フィリップ・セントジョージ・クック(Philip St. George Cooke)大尉を派遣していた。クックはカリフォルニアへ部隊の移動と、追加された国道の敷設という任務を持って部隊を指揮した。クックは南北戦争以前の素晴らしいフロンティア精神を持った将校の一人だった。サンタフェのほとんどの女性と子供たち、それと多くの病人を、現在のコロラド州のプエブロに送った。合計で3つの分遣隊が大隊を離れ、冬までにプエブロに行った。続く4ヶ月間と1,100マイルの道程で、クックは北米で最も困難な地勢のいくつかを渡って部隊を率いた。モルモンの兵士の大部分は、すぐこの優れた将校を尊敬して後に続くことを学んだ。集団は、ニューメキシコの別のガイドを雇った。それは冒険家でマウンテンマンのジャン・バティスト・シャルボノー(Jean Baptiste Charbonneau)で、彼は小さい時に、ルイス・クラーク探検隊と、彼の母親のサカガウィアと共に大陸を旅した。 スミス中尉とサンダーソン医師は、ウェストポイントを春に卒業したジョージ・ストーンマン(George Stoneman)中尉とともに、引き続き大隊と行動した。最終的にクック、スミス、ストーンマンのこれらすべての将校は、南北戦争の間の合衆国軍での高いレベルの司令を行うことになり、ストーンマンはカリフォルニアの州知事になった。
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