台湾へ移る〜木村伊兵衛との恋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 08:34 UTC 版)
「新橋喜代三」の記事における「台湾へ移る〜木村伊兵衛との恋」の解説
1919年(大正8年)5月、最初に千成を西券番へ紹介した鰺坂某と街中で偶然会ったところ、台湾で働く芸者を探しに来ている人が、前月行なわれた券番の温習会を見て、千成の事を気にかけているという話を聞き、借金を清算するために台湾行きを希望する。話はトントン拍子に進み、5月25日に下関から信濃丸で台湾へ渡る事となる。年季は4年で1,500円の前借りという条件であった。台湾では置屋「高砂」に所属し蔦奴と改名して台湾での芸者稼業をスタートさせた。 当時仕事で台湾に駐在していた後の写真家木村伊兵衛と恋に落ちた。 1922年(大正11年)6月、伊兵衛が日本へ引き上げることとなり、日本が恋しくなった蔦奴も鹿児島への引き上げを決意する。年季があと1年近く残っていたことによる前借金の清算と、台湾で新たに作った借金の合わせて1,500円を請求されたが、迎えに来た正義が交渉して1,300円に負けてもらい、そのうち800円を現金で支払い、残りは証文にして後日の支払いを約束、再び鹿児島へ戻ることとなった。
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