台湾の人車軌道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 06:49 UTC 版)
戦前、台湾にあった角板山台車 旧外地だった台湾にも多く存在していた、道路整備前に田舎や蕃地への交通手段として盛んだった。地元では台車(だいしゃ)または軽便車(けいびんしゃ)と呼ばれた。 台湾では1970年代まで人車鉄道が用いられていた。そのほとんどは自動車にとってかわられたが、烏来人車鉄道のように観光用に復活させた例もある。 台湾屈指の観光名所九份は「軽便路」という道路があり、それが軌道廃線後、線路敷の一部から転用した道路である。 車両模型 1901年 1905年 1907年 1910年 1936年 桃園市、1936年頃 廃線跡
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