古跡となった眷村の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 02:10 UTC 版)
台北市「四四南村」 - 大陸から逃れてきた聯勤44兵工廠の兵士たちとその家族が、日本陸軍が撤収したあとの倉庫を利用して居住した。台北101の裏手にあり、歴史的建造物として4棟が残されて整備され、眷村文物館やカフェなどに利用されている。 台北市「寶藏巖歴史集落」 - 宝蔵巖附近にあった日本軍の兵舎や施設跡をもとに、大陸から逃れてきた兵士や家族などが家を増築するなどして住みついた。不法建築やスラム化などが問題になり、取り壊して公園とする案が一旦は決定したが、住民や活動家らによる反対運動が起こり、歴史地区として保存されることになった。住民の老齢化によって空き家になったスペースを芸術家に貸し出す アーチスト・イン・レジデンスも実施されており、芸術村としての再生を図っている。 台中市「彩虹眷村」 - 正式名称は干城六村。南屯区の長春エリアに隠れるように存在している。2008年8月、一人の住民が家屋の壁面にカラフルな絵を描き始めた。絵の範囲はどんどん拡がっていき、やがて路面も含めた付近一帯が絵で埋め尽くされた。この街区は台中市の再開発区指定区域だったが、この絵が評判となり、2010年に文化公園として保存されることが決まった。現在は観光地として知られている。
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