反蒋戦争、紅軍掃討での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:13 UTC 版)
北伐完了後、全軍の軍縮に伴い、劉峙は第1師師長にいったん降った。また、中国国民党第3期中央執行委員にも選出されている。1929年(民国18年)3月、蒋桂戦争が勃発すると、討逆軍第1軍軍長兼第1師師長として武漢を攻撃し、攻略後に武漢衛戍司令に任ぜられた。その後、編遣委員会直轄第2編遣分区主任となっている。同年10月の馮玉祥との戦いでは第2路軍総指揮として武漢に駐留し、各軍を統轄している。年末の唐生智・石友三との戦いでも、劉は前敵総指揮として戦い、これを撃破した。 翌1930年(民国19年)の中原大戦では、劉峙は第2軍団総指揮に任命されて反蒋軍討伐に従事する。このとき、馮玉祥率いる軍と河南省で激戦を展開し、一時は劉も危機に陥ったが、張学良の支援もあって最終的に勝利を収めた。同年11月、劉は河南省政府主席兼開封綏靖公署主任に任ぜられる。1932年(民国21年)6月には、共産党(紅軍)第4次掃討作戦で中路軍副司令官を務め、鄂豫皖根拠地への攻撃で軍功があった。
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