参政の制限
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:17 UTC 版)
植民地主義がもっとも隆盛を誇った19世紀末には宗主国の多くが民主化を進めたものの、植民地と本国とは政治的に異なるものとして扱われており、植民地の人々は本国での政治にかかわることはできなかった。入植型植民地では現地で議会が設置されて自治が進められたが、それ以外の植民地では現地住民の意見を徴する場はほとんど設けられず、わずかに一部の植民地の諮問機関に現地の首長や指導層の参加が認められたにすぎなかった。例外としてはフランスがセネガル植民地の4つの都市(サン=ルイ、ゴレ島、リュフィスク、ダカール)に1879年以降本国議会の議員を選出する権利を認めていたが、この権利は市民権を認められたわずかな人々に限られ、この選挙区からは1914年まで黒人の選出はされなかった。また、フランスがこの4都市以外に本国議会への参政権を認めることは第二次世界大戦の終結まで決してなかった。
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