原典の精査が不完全な記述の挿入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
「安倍晴明物語」の記事における「原典の精査が不完全な記述の挿入」の解説
以上は増補が蛇足となった例だが、原典の精査が不十分で、矛盾する記述が併存する例もある。「太唐の城荊山文殊堂炎上付伯道上人来朝并道満法師殺さるる事」では、『簠簋抄』にはない晴明塚・道満塚の場所に関する記述が複数箇所追加されている。 まず冒頭で伯道が晴明の館の場所を聞いた際に、通行人が晴明は「賀茂川のすそ、五条川原の西の岸に、うづミし」と答えているが、後に道満は「五条河原の東の岸に、塚をつきて埋み」と答えている。 さらに最後で今の世までも、五条川原の東の岸に、晴明が塚とて、これあり。後に、道満と梨花を、又その塚にうづミ、すてたり。時代うつりけれハ、その塚もミなながれてくづれ。ふかき淵となりにけり。 と書かれている。文章の前半で「今でもある」と書きながら、後半では「流れ崩れて、深い淵となった」と、その存在を否定しているのである。これについては「元話等の採取の際に起因する記述の不手際ではないか」という指摘がなされている。 この部分に限らず、阿倍仲麻呂の唐名「朝衡」を仲麻呂の父の名と勘違いしている、安倍野を和泉国と勘違いしている(正しくは摂津国)等々、本書には『簠簋抄』への補筆部分に間違いが多く存在することが指摘されている。
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