南機関発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:33 UTC 版)
ビルマに関しては、1940年当時、日本海軍がラングーン在住の元海軍大尉国分正三を通じて早くから情報収集に努めていた一方で、日本陸軍が持っていた情報は無きに等しかった。鈴木大佐は活動開始にあたって上海の特務機関員であった樋口猛、興亜院の杉井満、満鉄調査部の水谷伊那雄らに協力を要請した。 1940年6月、鈴木大佐は日緬協会書記兼読売新聞特派員「南益世」の偽名を使ってラングーンに入り、タキン党員と接触した。そこで鈴木大佐はオンサンたちがアモイに潜伏していることを知り、彼らを日本に招くことを決意する。11月、オンサンたちはアモイの日本軍特務機関員によって発見され日本に到着した。鈴木大佐はオンサンに「面田紋二」、ラミヤンに「糸田貞一」の偽名を与えて郷里の浜松にかくまった。 オンサンたちの来日を契機として、陸海軍は協力して本格的な対ビルマ工作を推進することを決定する。1941年2月1日、鈴木大佐を機関長とする大本営直属の特務機関「南機関」が正式に発足した。さしあたり対外的には「南方企業調査会」との偽称を用いることとした。発足時の主要メンバーは次の通りであった。 陸軍 - 鈴木敬司大佐(機関長)、川島威伸大尉、加久保尚身大尉、野田毅中尉、高橋八郎中尉、山本政義中尉(川島大尉、加久保大尉、山本中尉は陸軍中野学校出身) 海軍 - 児島斉志大佐、日高震作中佐、永山俊三少佐 民間 - 国分正三、樋口猛(中野学校出身)、杉井満、水谷伊那雄
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