南機関消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:33 UTC 版)
北部ビルマ平定作戦が終了した時点でBIAの兵力は2万3千人に達していた。急激な膨張の一方で、烏合の衆的な傾向も強まり、幹部の統制を逸脱して悪事を働く者も出てきていた。こうした中、南方軍および第15軍では、BIAを一旦解散し、その中から選抜した人員をもって正規軍を作るべきとする結論に達した。 同時に、南機関の任務も終わり、その活動を閉じる時機となっていた。鈴木大佐に対しては6月18日付をもって近衛師団司令部付への転属が命じられた。鈴木大佐はBIAの総指揮をオンサンへ委譲したのち、7月15日、ラングーン発内地へ向かった。その他の機関員も各所に転属となり、ごく一部は新しく誕生するBurma Defence Army, BDA(ビルマ防衛軍、ビルマ国防軍)の指導要員として残留することになった。
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