南一郎平
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南 一郎平(みなみ いちろべえ、1836年(天保7年5月22日) - 1919年(大正8年)5月13日)は、日本の建設事業者、建設指導者、実業家である。晩年は南 尚(みなみ ひさし)と改名した。豊前国宇佐郡金屋(現・大分県宇佐市)出身[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k “農業利水偉人伝 5 南一郎平 (PDF)”. 大分県. 2014年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “先人の軌跡 南一郎平”. Viento ~おおいたの風~ 2004 2004年春季号. 大分県. 2004年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月18日閲覧。
- ^ “日本三大疎水の父、後世に 19日、南一郎平没後100年の式典”. 大分合同新聞. (2020年1月18日). オリジナルの2020年1月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “南一郎平”. 宇佐市. 2020年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月18日閲覧。
- ^ a b c 藤田龍之「猪苗代湖疏水(安積疏水)の建設に活躍した南一郎平について - 南は事務官であり技術者ではなかった」『土木史研究』第13号、土木学会、1993年、 355-361頁。
- ^ この記述は『日本鉄道請負業史・明治篇』(鉄道建設業協会、1967年)からの引用による。
- ^ 3月19日(土)より販売開始!! マンガ『日本三大疏水の父 南一郎平』宇佐市民図書館、2016.3.15
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