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北川法夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 14:37 UTC 版)

北川 法夫
きたかわ のりお
生年月日 (1948-09-10) 1948年9月10日(75歳)
出生地 大阪府寝屋川市
出身校 関西大学商学部
関西大学経済学部
前職 衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党→)
無所属
称号 旭日中綬章
子女 北川晋平(次男)
親族 父・北川石松衆議院議員
弟・北川知克(衆議院議員)
公式サイト 寝屋川市長 北川法夫のホームページ

当選回数 1回
在任期間 2015年5月29日 - 2019年5月28日

第102代 大阪府議会議長
在任期間 2006年5月 - 2007年5月

大阪府議会議員
選挙区 寝屋川市選挙区
当選回数 7回
在任期間 1983年4月 - 1987年4月
1991年4月 - 2015年2月16日
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北川 法夫(きたかわ のりお[1]1948年9月10日[2] - )は、日本政治家大阪府寝屋川市長(1期)、大阪府議会議員(7期)、大阪府議会議長(第102代)、自由民主党大阪府支部連合会幹事長などを歴任。

父親は元衆議院議員であり第24代環境庁長官北川石松。弟は元衆議院議員の北川知克

来歴

大阪府寝屋川市出身。市立西小学校、市立第二中学校、関西大学第一高等学校卒業。1971年3月、関西大学商学部卒業。1973年3月、同大学経済学部卒業。1976年、父親の北川石松衆議院議員公設第一秘書となる[3]

1983年4月、大阪府議会議員選挙に出馬し初当選。1987年の府議選では落選するも、1991年の選挙で返り咲く。

2006年、大阪府議会議長に就任[3]

2015年2月16日、大阪府議を辞職[4]。同年4月26日に行われた寝屋川市長選挙に無所属自由民主党推薦・日本共産党支援[5])で出馬。元寝屋川市議の南部創、元寝屋川市議で大阪維新の会推薦の宮本正一らを僅差で破り、初当選を果たした[6]。5月29日、市長就任[7]

※当日有権者数:193,465人 最終投票率:49.54%(前回比:pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
北川法夫 66 無所属 33,710票 36.06% (推薦)自由民主党
南部創 51 無所属 32,476票 34.74%
宮本正一 47 無所属 27,299票 29.20% (推薦)大阪維新の会

2018年12月26日、弟の北川知克衆議院議員が死去すると、2019年2月4日に、知克の死去に伴う大阪12区補欠選挙に次男の北川晋平(知克の甥)が立候補する意向を表明した[8]

同年3月3日、衆議院補欠選挙で北川晋平を応援することを念頭に「他党の批判をすることになる。(他党との協力を得ながら市政を進める)市長の立場でやるのは好ましくない」と述べ、任期満了に伴う寝屋川市長選への出馬見送りを表明[9]。なお、補欠選挙で次男の晋平は落選している。

2020年旭日中綬章受章[10]

脚注

関連項目

外部リンク

議会
先代
美坂房洋
大阪府議会議長
第102代:2006年 - 2007年
次代
岩見星光



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