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内藤正剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 14:45 UTC 版)

内藤正剛

内藤 正剛(ないとう まさたけ、1883年明治16年)2月28日[1] - 1959年昭和34年)1月22日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)、弁護士

経歴

岡山県阿賀郡新見村(現在の新見市)出身。関西法律学校(現在の関西大学)を卒業した後、中央大学で学び、判事検事登用試験に合格した[3]。司法官試補となったが、後に弁護士となり、大阪弁護士会副会長を務めた[3]。弁護士のかたわら大阪市会議員・同議長、大阪府議会議員・同議長を歴任した[1]

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回まで3回連続当選を果たした。

戦後、公職追放となる[4]1951年追放解除[5]

その他に大阪木材相互市場株式会社顧問、関西大学監事などを務めた[6]

脚注

  1. ^ a b 『大阪新人物誌』p.148
  2. ^ 関西大学年誌編纂室. “関西大学を築いた人々” (日本語). 2015年8月15日閲覧。
  3. ^ a b 『衆議院議員略歴』
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿399頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
  5. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。
  6. ^ 『人事興信録』

参考文献

  • 『大阪新人物誌』夕刊大阪新聞社・日本工業新聞社、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 



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