勝・西郷会談とは? わかりやすく解説

勝・西郷会談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 00:25 UTC 版)

江戸開城」の記事における「勝・西郷会談」の解説

山岡の下交渉受けて徳川家側の最高責任者である会計総裁大久保一翁陸軍総裁勝海舟と、大総督府下参謀西郷隆盛との江戸開城交渉は、田町(東京都港区)薩摩藩江戸藩邸において、3月13日14日の2回行われた小説ドラマなどの創作では演出上、勝と西郷2人のみが面会したように描かれることが多いが、実際に徳川家側から大久保山岡東征軍側から村田新八桐野利秋らも同席していたと思われる。 勝と西郷元治元年1864年9月大坂面会して以来旧知の仲であり、西郷にとって勝は、幕府存在前提としない新政権構想教示され恩人でもあった。西郷徳川家の総責任者が勝と大久保であることを知った後は、交渉によって妥結きるであろうと情勢楽観視していた。 この間11日には東山道先鋒総督参謀板垣退助土佐藩)が八王子駅到着12日には同じく伊地知正治薩摩藩)が板橋入り13日には東山道先鋒総督岩倉具定板橋駅入って江戸城包囲網完成しつつあり、緊迫した状況下における会談となった。しかし西郷血気にはやる板垣らを抑え、勝らとの交渉終了するまでは厳に攻撃開始戒めていた。

※この「勝・西郷会談」の解説は、「江戸開城」の解説の一部です。
「勝・西郷会談」を含む「江戸開城」の記事については、「江戸開城」の概要を参照ください。

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