前田与十郎家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:22 UTC 版)
尾張の一族であり、代々の当主は与十郎を称した。上記の美濃の前田家との関係については系図上は同族とされるが確証はない。戦国期には織田氏に仕えていたが、安土桃山時代以降に加賀藩に仕えた。当主の名前の「利」の位置の推移・消長などから、元々は加賀藩の前田家の本家格または主筋であったのではないかと推測されることもあるが明確ではない。また須磨の前田家の分家筋であるとも言われるが明確ではない。仮に須磨の前田家の分家筋である事が正しく加賀の前田家の本家筋であると言う事が正しかった場合、1000年を超える歴史を持つ家系となる。尚、加賀藩の子孫は現存が確認されているが、尾張の前田及び須磨の前田に関しては子孫は確認されていない。種利の子の前田長種は前田利家の長女を娶り、前田利常の後見人となっている。その後は加賀八家のうちのひとつ前田対馬守家として存続した。明治維新後、対馬守家は華族に列せられ男爵となった。
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