前期及び後期エトワー相(紀元1000年頃 - 1200年頃)
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「エトワー」の記事における「前期及び後期エトワー相(紀元1000年頃 - 1200年頃)」の解説
マウンドAが造営、機能する。マウンドBの造営始まる。 エトワーのミシシッピ文化期の居住は、紀元後1000年前後に始まったと考えられている。この時期を前期エトワー相(Early Etowah Phase)といい、遺跡の中心部に大規模な公共建築物の一部になっていく小さなマウンドがひとつ建設された。これは初期のマウンドAであることが、同マウンド及びその周辺部の調査から明らかになっている。エトワー川沿いにほかにマウンドを持つセンターがないことは、エトワーがエトワー川流域の「首都」であることを示している。 後期エトワー相(Late Etowah Phase, 紀元1100年 - 同1200年)になるとエトワー川沿いの東側に2箇所の小規模なセンターが造られた。エトワー自体は、マウンドAが引き続き機能し続け、また、マウンドBの造営がはじまる。この時期においては、三つのセンターはそれぞれ独立した首長制国家であったと考えられている。
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