前史 - ジョージ・モリカミとヤマト・コロニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:20 UTC 版)
「モリカミ博物館」の記事における「前史 - ジョージ・モリカミとヤマト・コロニー」の解説
1904年、デルレイビーチの南のボカラトンにヤマト・コロニー(英語版)という農場が開設された。これは、フロリダで最初の日系移民の入植地である。京都府宮津出身の森上助次(すけじ、のちのジョージ・モリカミ)もこの入植に参加したひとりで、1906年に単身渡米した。 ヤマト・コロニーでは最盛期に100人以上の日本人農民がパイナップルの栽培などを営んでいたが、やがて経済的な困難などから衰退し、最終的には第二次世界大戦を契機に解体された。モリカミは最初は農園労働者として働いていたが、農産物卸売業にも乗り出して成功した。モリカミはヤマト・コロニーを離れたあともパームビーチ郡に残って農業と事業を続け、少しずつ土地を買い増した。モリカミは1976年2月29日に89歳で死去した。
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