初代:石川尚
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1934年7月2日生。山口組の二次団体であった神戸の平松組の幹部として活動、首領の平松資夫のもとで芸能興業の経験を積み、山口組の芸能部門にあたる神戸芸能に関与するなどした。「名神実業」設立後、1977年(12月)に山口組三代目組長田岡一雄から親子盃を受けて山口組の直参に昇格、同時に名神実業を“名神会”へ改称し、名古屋を本拠にその勢力を拡大させた。三代目山口組にあっては、山本若頭から目を掛けられていたこともあり、“山健派”の新鋭指導者と目された。山本の最期を看取った一人でもあった。竹中四代目体制下では竹中の警護役兼秘書役という重責を担い、いわゆる山一抗争の只中へ。一和会による竹中射殺の当日にあっては、交代任務に就いていた南力組長が射殺されている。渡辺五代目体制になると舎弟盃を受け、愛知県内唯一の五代目舎弟となった。2007年の2月に引退。跡目を田堀寛に譲った。
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