初代鶴町車庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 23:51 UTC 版)
初代の鶴町車庫は、1922年(大正11年)9月に着工し、1923年(大正12年)4月に当時の大阪市西区鶴町(現在の大阪市大正区鶴町2丁目)に開設された。 建屋は4棟から構成され、単車にして204両が収容可能であった。ローカル線らしく四輪車の701型、及び2両連結された散水車の改造車751型などが配属されていたほか、近くにあった福町車両工場の修理車両、出入場車の一時預かりにも利用された。 1945年(昭和20年)6月1日にはアメリカ軍戦闘機B29による空襲(大阪大空襲)を受けて全焼したが、間もなく応急的に復旧された。 1954年(昭和29年)7月、大正区鶴町周辺地域の土地の嵩上げ工事のために廃止され、港車庫へ移転した。
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