出生〜初録音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 16:24 UTC 版)
ニューオーリンズでクレオールの家系に生まれた。兄はトロンボーンとクラリネットを習っていたが、ベシェは8歳の頃にクラリネットに強い興味を示し、兄からクラリネットを渡される。ベシェは少年時代からニューオーリンズのトップ・バンドで演奏するほどの腕前になり、また、自分より2歳年上のジミー・ヌーンにクラリネットを教えていたこともある。ニューオーリンズ時代には、ベシェはバンク・ジョンソン(英語版)率いるジ・イーグル・バンドで活動したこともあり、また、キング・オリヴァーとも共演した。オリヴァーとは後にシカゴでも共演し、ジョンソンとは1945年にブルーノート・レコードのレコーディングで再び共演している。 19歳になると、ベシェはニューオーリンズを出てピアニストのクラレンス・ウィリアムズと共にシカゴへ出た。 1919年、ベシェはウィル・マリオン・クックが率いるサザン・シンコペイテッド・オーケストラに参加してロンドンへ渡る。そして、1921年2月にロンドンで行われた「ベニー・ペイトンズ・ジャズ・キングス」のレコーディングでクラリネットを担当するが、この時の録音は発表されていない。そして、ベシェはこのようにアメリカを離れて活動していた頃、ソプラノ・サックスを吹き始めている。 アメリカへ帰国したベシェは、1923年1月にベッシー・スミスのバックでクラリネットとソプラノ・サックスを吹くが、この録音も未発表に終わる。同年7月30日、ベシェは「クラレンス・ウィリアムズ・ブルース・ファイヴ」の録音に参加し、「Wild Cat Blues」と「Kansas City Man Blues」の2曲でソプラノ・サックスを演奏。これが、現存する限りではベシェの最も古い録音である。
※この「出生〜初録音」の解説は、「シドニー・ベシェ」の解説の一部です。
「出生〜初録音」を含む「シドニー・ベシェ」の記事については、「シドニー・ベシェ」の概要を参照ください。
- 出生〜初録音のページへのリンク