出兵中の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 07:53 UTC 版)
ロシア兵はナポレオン戦争が原因で引き上げたため実際のロシア兵との交戦はなかったが、野菜が摂取できないことによるビタミン不足で水腫病にかかる兵士が多かった。これを問題視した幕府は、当時水腫病に効果があるとされたコーヒーを出兵隊に送ったという。 会津藩は1808年10月から翌年にかけて樺太から帰還した。しかし、帰路の途中に嵐に遭い船が難破、一部は離島天売島、焼尻島へ避難し、51名の死者を出した。現在、宗谷岬の北端には会津藩士の墓と句碑が建てられている。また利尻島、焼尻島にも会津藩士の墓がある。 利尻島のペシ岬にある会津藩士の墓。2013年7月撮影。
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