冬かもめ真昼は大きな忘れもの
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季 語 |
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冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
真昼、白昼、昼間、日なか、などと一日の時間帯の昼の思いをめぐらすと、意味はほぼ同じでもそれぞれの言語には微妙に異なるニュアンスがある。掲句の「真昼」は句の内実に沿った正真正銘の言葉と思う。真昼には、一日のうちでエネルギーの最も漲る影の濃い時だが、反面、動きが止まったような、倦怠のような、どこかがらんとした心持になる。 たとえば、日中、一面、水の張られた田の傍に佇むと何か途方もない気分になり、置き去りにされたような格好になる。掲句に接してこんな記憶を思い出しているが、結論を先に言えば、こんな漠とした雰囲気を「真昼は大きな忘れもの」と感覚的に捉えた一句ではないかと思うのだが。 「冬かもめ」から冬の海が広がる。これを導入部として漁港や漁師町の佇まいが顕ってくる。ことに漁を生業とする所にとっては、真昼時は朝と夕の活況の狭間であろう。時間の消え失せたようなこの狭間の真昼の景を、「大きな忘れもの」として反語的にその存在を鮮明にしている。また一方で、真昼の海のみを表現したとも解せるが、「忘れもの」と名詞で止めたことで、感覚的、心象的な句でありながら物象感が伴う。言わずして界隈の実景が描写されているように思うが、これは作者の余裕であろう。 対象や現象のなかに深く分け入り、やがて抜け出た瞬間に「真昼」という空間の手応えを物されたような作品のように思う。 |
評 者 |
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備 考 |
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