写本と出版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/06/07 09:56 UTC 版)
「ボヘミア語の正書法について」の記事における「写本と出版」の解説
本著の写本は1826年8月13日にフランチェク・パラツキーによってトジェボン(Třeboň)発見された。僧侶の(Oldřich Kříž)その1年後新刊の雑誌であるチČasopisu společnosti vlastenského Museum v Čechách誌に紹介され、存在が公に知られるようになったが、刊行はその後30年行われず、1857年にチェコ語学者のアロイス・ヴォイテフ・シェンベラ(Alois Vojtěch Šembera)による原文つきの翻訳がSlavische Bibliothek中に収録された。次いでチェコでチェコ語訳がMistra Jana Husi sebraných spisů(ヤン・フス著作集)に収録された。くだって1965年の新版Slavische Bibliothekにシェンベラ訳が再録され、1968年にヨハン・シュレプファ―(Johann Schröpfer)訳が刊行された。現在学術的に利用できる完本は上記の写本のみであり、ほかにプラハ城に抜粋が保存されている。
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