再統一と消滅(1975~1976)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:55 UTC 版)
「ベトナム民主共和国」の記事における「再統一と消滅(1975~1976)」の解説
ベトナム共和国の消滅後、南ベトナムを代表する政府は南ベトナム共和国臨時革命政府だけになり、ベトナム民主共和国によるベトナム再統一を阻む国家は存在しなくなった。しかし一方で、ベトナム戦争後に中華人民共和国やクメール・ルージュ(カンボジア)との軋轢が顕在化し、ベトナムは周辺諸国への脅威に対応する必要に迫られた。これを受け、労働党は国内体制を安定化させるべく再統一の計画を早めて統一選挙を実施し、1976年7月2日に南北ベトナムの再統一とベトナム社会主義共和国の成立を宣言した。これ以降、旧ベトナム共和国政府関係者の「再教育」、南ベトナムの社会主義化(行政、官僚組織の再編成や企業の国営化)が急速に進められ、統一ベトナム政府に反発する人々がボートピープルとして国外へ脱出することになる(インドシナ難民)。
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