再立藩と藩主の交代
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寛永10年(1633年)8月9日、上総佐貫藩より松平忠重が3万石で入った。しかし寛永12年(1635年)8月4日に遠江掛川藩に移封され、代わって下総山川藩より水野忠善が入った。しかし寛永19年(1642年)7月28日に三河吉田藩に移封された。 直後の9月12日、松平忠晴が2万5000石で新たに大名として取り立てられて、田中藩主となった。しかし寛永21年(1644年)3月18日には遠江掛川藩に移封され、下総関宿藩より北条氏重が入るが、正保5年(1648年)閏1月21日に遠江掛川藩に移封された。 慶安2年(1649年)2月11日、常陸土浦藩より西尾忠昭が入ったが、第2代藩主西尾忠成時代の延宝7年(1679年)9月6日に信濃小諸藩に移封となる。入れ替わる形で酒井忠能が入った。この忠能は第4代将軍徳川家綱の大老として権勢を振るった酒井忠清の弟であるが、第5代将軍徳川綱吉の粛清を受けて兄が失脚すると、忠能も綱吉の怒りに触れて天和元年(1681年)12月10日に改易された。 天和2年(1682年)2月12日、常陸土浦藩より土屋政直が入るが、貞享元年(1684年)7月10日に大坂城代として摂津方面に転出した。入れ替わる形で7月19日に太田資直が入り、第2代藩主太田資晴時代の宝永2年(1705年)4月22日に陸奥棚倉藩に移封となる。またそれと入れ替わる形で内藤弌信が入るが、弌信は正徳2年(1712年)5月15日に大坂城代として転出した。またもやこれと入れ替わる形で土岐頼殷が入るが、第2代藩主土岐頼稔時代の享保15年(1730年)7月11日に大坂城代として転出した。 田中藩は本多家に至るまでは短期間で移封される場合が相次いだ。このため、酒井忠利を除く藩主の治績はほとんどないといってよい。
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