六甲事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 02:30 UTC 版)
1984年5月5日、六甲駅の上り本線で山陽電鉄車両との衝突事故が発生し、2050Fが被災した。大破した2050は復旧されず1984年12月14日付で廃車となり、代替に2100系2154を編入し2代目2050とした。 初代2050は落成直後の1960年10月27日、西宮車庫での構内試運転を2050-2001の編成で行った際に配管接続錯誤によるブレーキ不能状態となって留置中の900形909に衝突、本線試運転が中止となり事故からの修復のために営業運転開始が1960年末にずれ込んだ過去があり、まさに事故に始まって事故で終わる一生であった。 西宮車庫での事故の際に、構内運転資格ありの乗務見習いの立場で2050を運転していた山口益生は、六甲駅での事故の際には車両部責任者の立場で事故処理にあたった。
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