公家との交流
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権大納言勧修寺晴豊の第六子で鹿苑寺住持の鳳林承章の日記『隔蓂記』では、算知を初めとした碁打ちとの交流が記されている。明暦3年(1657年)から万治2年(1659年)の間に、算知を招いて北野社衆を交えた碁会を開き、算知は2世算哲(渋川春海)、息子の小三郎(知哲)などを伴い、公家や僧達とも対局した。この時期は算知は京都に居住しており、林門入斎とも交流があり、また在京の囲碁強豪法橋中西玄碩の子の玄悦を弟子にするなどした。 門入斎の死去2年後の寛文9年に、弟子の一人に林家の家督を継がせて二世林門入とし、これが家元林家となった。
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