八面山平和公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:05 UTC 版)
「八面山 (大分県)」の記事における「八面山平和公園」の解説
地図 南東側の山麓(標高150m付近)にある公園。 太平洋戦争中の1945年5月7日に、北九州地区の空襲に向かう途上の米軍のB-29に対して、八面山付近で防空にあがった陸軍の屠龍の一機が体当たり攻撃を行い、屠龍は三保村洞の上(現在の中津市洞の上)に、B-29は八面山3合目に墜落。B-29搭乗員11名、屠龍の搭乗員である村田勉曹長が死亡した。また、同年8月12日、宇佐海軍航空隊所属の零戦が米海軍のグラマン戦闘機と交戦。被弾により山口村森山(現在の中津市森山)に墜落し零戦搭乗員の加藤茂飛曹長が死亡した。これらの日米の戦没者を慰霊するために、1970年5月7日に慰霊碑が建立され、1972年5月7日には八面山平和公園記念館が開館した。公園内には、1993年に福岡県八女市星野村から分火された原爆の火を「恒久平和の火」として灯し続ける灯籠や、かつて航空自衛隊で運用されたF-86F戦闘機がある。毎年5月3日に慰霊の集いが行われている。
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