八重垣神社 (垂井町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 八重垣神社 (垂井町)の意味・解説 

八重垣神社 (垂井町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 04:35 UTC 版)

八重垣神社
八重垣神社
所在地 岐阜県不破郡垂井町1126
位置 北緯35度22分21秒 東経136度31分20.5秒 / 北緯35.37250度 東経136.522361度 / 35.37250; 136.522361
主祭神 素盞嗚尊牛頭天王
創建 文和2年(1353年
別名 牛頭天王社
例祭 5月2日、5月3日、5月4日
主な神事 垂井曳軕祭
テンプレートを表示

八重垣神社(やえがきじんじゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社である。垂井町の氏神とされている。

また、毎年5月2日 – 4日に開催される「垂井曳山祭り[注 1]は当社の例祭である。

祭神

主神
合祀

沿革

例祭

南北朝時代、後光厳天皇を慰めようと、村人が花車3輌を造って曳き回したことが始まりという。現在は、毎年5月2日 – 5月4日に「垂井曳山祭り」として開催される。

  • 曳山(山車) - 3両あり、花車に舞台が造られたのは安永年間で、塗り、豪華な彫刻、飾金具などが施されている。3両とも昭和36年(1961年)6月19日に岐阜県の重要有形民俗文化財に指定されている[1]
    • 攀鱗閣(はんりんかく)西町 - 文化5年(1808年)作。当初は白木であったが、文政10年(1827年)に漆塗装、後に彫刻が施された。
    • 紫雲閣(しうんかく)中町 - 安永年間以前の作という。明治3年(1870年)に改造が施されている。
    • 鳳凰山(ほうおうざん)東町 - 寛政10年(1798年)作。当初は白木であったが、文政4年(1821年)に漆塗装が施された。

※ 3両の曳山の上ではそれぞれ小学生による歌舞伎が演じられる。これは全国に残る素人歌舞伎の中で、全国8ヶ所(不定期は除く)に伝承されている曳山子供歌舞伎山の一つで、垂井町の無形民俗文化財に指定されている。

※ 伝統継承という名のもと、子どもを2週間学校を休ませ練習をさせる。また、 11時~22時以降、1日6公演あり、伝統の名のもと、労働基準法が適応されない。以上のことから、教育の義務違反、児童虐待が疑われる[2][3]

交通機関

脚注

注釈

  1. ^ 正確には(軕 (U+8ED5) )。

出典

  1. ^ 垂井祭曳やま”. 岐阜市. 2013年4月25日閲覧。
  2. ^ 岐阜県観光連盟. “垂井曳やままつり|イベント|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」”. ぎふの旅ガイド. 2024年10月3日閲覧。
  3. ^ https://www.tarui-kanko.jp/docs/2015071600026/file_contents/H31.pdf

関連項目

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八重垣神社 (垂井町)」の関連用語

八重垣神社 (垂井町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八重垣神社 (垂井町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八重垣神社 (垂井町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS