全日本居合道連盟結成
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こうした学者気質ともいっていい性格と活動が背景となって、太平洋戦争後、GHQの政策による武道離れを食い止め、流派と業の継承のため自ら中心となって居合道の全国組織の結成を同時代の居合道家、剣道家たちに呼びかけた。1954年(昭和29年)5月、全日本居合道連盟を結成し、会長に後の内閣総理大臣池田勇人を迎え、自身は理事長に就任した。翌1955年(昭和30年)5月2日には第1回居合道大会を開催し、顧問に中山博道、笹森順造、福井春政、大長九郎、柳生厳長、委員長に徳富蘇峰を迎えた。 1956年(昭和31年)、全日本剣道連盟が居合道部を創設し、全日本居合道連盟との間で合併が議論されたが、意見がまとまらず、河野は交渉を打ち切った。
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