全剣連居合に対する評価
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「全日本剣道連盟居合」の記事における「全剣連居合に対する評価」の解説
政岡壹實 1912年(大正元年)に制定された日本剣道形によって各流派の形が消えたことを理由に挙げ、初心者なら大森流を稽古すれば充分で、それ以上付け加える業は無いと主張したが、統一形の必要性を主張する全剣連内の流れに抗しきれず、制定委員長を務めた。 末次留蔵 「各流派を代表した覚悟の先生としては譲れぬ点が多いので、意見が対立してもめた。同じ流派を名乗っていても違うところがあるのだから、これはしょうがない。古流とは根本的に違う。本の冒頭に書いてあるように剣道をする人がやれるように初心者用に作ってあるのだから、これは全剣連の居合です。古流は古流です。それとは別の制定居合を一応やっておくように」と妥協する姿勢を示したが、全剣連居合が剣道人にあまり普及せず、居合道の昇段の道具になっていく傾向を見て、「いつの間にか趣旨と違って制定居合が居合道に押しつけられてきたな」と不快感を表わした。 紙本栄一 1990年(平成2年)に『剣道日本』紙上において、「かつて日本剣道形が作られたときに、各流派が編み出した形からどのようにして代表的なものを組み合わせるか、非常に苦労された、と聞きましたが、全剣連居合も生みの苦しみというか、剣の理合に合うようにという一点に絞ってあっても意見が対立してたいへんでした。(中略)同じ流派でも習った先生がちがったり、戦中戦後の空白もあるものだから、やはり少し認識がちがう」と述べた。 檀崎友彰 1990年(平成2年)に『剣道日本』紙上において、「最近では初伝の大森流もやらんで全剣連居合ばかりという人もいるそうだが、それでは居合はわからんですよ」「全日本剣道連盟居合にいくら精通しても居合を知ったことにはならない」と述べた。
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