元始から近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 08:30 UTC 版)
先史時代から人々が居住していた痕跡が見られ、賢島の賢島遺跡からは石鏃・石錘・石斧が出土している。中世には城があったとされ、「城山」と呼ばれる丘がある。江戸時代には、志摩国英虞郡磯部組に属し、神明浦村(しめのうらむら)として鳥羽藩に属した。村高は時代を追うごとに増加し、天和元年(1681年)は250石だったが、『旧高旧領取調帳』では352石余となった。これは海を埋め立てて新田開発を行った結果である。水産業も盛んに行われ、浜島村・波切村・和具村の海で漁業を行ったので、浦役として米を各村に納めていた。近隣の立神村と漁場争いをした記録もある。主な漁法は地曳網・立網・長網などの網漁であった。特にぬきイリコ(きんこ)を多く産し、藩主へ献上していた。文化年間(1804年 - 1818年)に阿波国の巡業師から人形と技術を受けて「神明文楽」が始まった。
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