催眠術に関する著作と漱石の翻訳
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「アーネスト・エイブラハム・ハート」の記事における「催眠術に関する著作と漱石の翻訳」の解説
佐々木英昭の『漱石先生の暗示(サジェスチョン) 』によれば、ハートは1892年にパリに渡り、当時隆盛を見ていた、シャリテ病院の催眠治療の疑わしい実態を『催眠術、メスメリズムと新しい魔術』で告発した。その巻頭論文に収録された、トインビー・ホールでの講演、「催眠術といかさま」の一部が、日本で明治25年の『哲学会雑誌』に「催眠術(「トインビー院」演説筆記)」と題して掲載された。原著者のみで、訳者名はないが、文体から、小宮豊隆によって漱石訳であると推定されている。当時日本では催眠術への興味が高まっており、その論文の「いかさま」に関する部分をすてて、催眠術の驚異的部分の紹介記事となっている。佐々木は、漱石の催眠術もしくは暗示力への驚異が漱石の関心をひいていたことの、傍証として、漱石の若いころの翻訳作業を紹介している。
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