備中・美作の高瀬舟
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中川正彦. “第4回 高瀬舟 上 - 美作国の1300年をたどる”. 公式ウェブサイト. kNOT. 2019年5月14日閲覧。 真庭市勝山の高瀬舟 真庭市勝山の高瀬舟の関連遺構 勝山町並み保存地区裏の高瀬舟発着場 真庭市勝山の旭川河岸にある舟宿跡 岡山県真庭市勝山(明治初期の真島郡勝山村。江戸時代における美作国真島郡勝山村、幕藩体制下の美作勝山藩知行高田村)には、かつて高瀬舟が行きかっていた発着場が残っている。かつてここでは川下から塩や海産物・干し海老(ほしえび)・畳表(たたみおもて)などの生活必需品の多くが高瀬舟によって山間部へもたらされ、さらにここから山中地域(旧・真庭郡域)へ送り出されていた。そして、山中地域からは木炭・米・蒟蒻(こんにゃく)などの物資を積み下ろしたりなど、物資の集散地になっていた。岡山方面への舟は、午前中に荷積みをし、落合で1泊した後、翌日、岡山まで下る。その翌日に荷を下ろし、終わり次第戻って荷を積む。岡山からの帰りは4日程度かかっていた。 江戸時代中期にあたる享保17年(1732年)の『高田村絵図』に描かれた高瀬舟の発着場は、現在の中国勝山駅の裏辺りであり、「浜」と呼ばれ、岡山まで18里(約70.69km)、蔵から年貢米を積み出していたと思われる。 明治時代[いつ?]には370艘ほどが稼働しており、そのうち、落合(明治半ばにおける真島郡落合町、現・真庭市落合地区)に100艘、久世(明治半ばにおける大庭郡久世村、現・真庭市久世)に30艘、勝山(明治半ばにおける真島郡勝山町、現・真庭市勝山)には48艘程度の船が発着していた。 真庭市落合の高瀬舟
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