備中・美作の高瀬舟とは? わかりやすく解説

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備中・美作の高瀬舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 04:32 UTC 版)

高瀬舟」の記事における「備中・美作の高瀬舟」の解説

中川正彦. “第4回 高瀬舟 上 - 美作国1300年をたどる”. 公式ウェブサイト. kNOT. 2019年5月14日閲覧真庭市勝山高瀬舟 真庭市勝山高瀬舟関連遺構 勝山町並み保存地区裏の高瀬舟発着場 真庭市勝山旭川河岸にある舟宿岡山県真庭市勝山明治初期真島郡勝山村江戸時代における美作国真島郡勝山村幕藩体制下美作勝山藩知行高田村)には、かつて高瀬舟が行きかっていた発着場残っている。かつてここでは川下から塩や海産物干し海老ほしえび)・畳表たたみおもて)などの生活必需品多く高瀬舟によって山間部もたらされ、さらにここから山中地域(旧・真庭郡域)へ送り出されていた。そして、山中地域からは木炭・米・蒟蒻こんにゃく)などの物資積み下ろしたりなど、物資集散地になっていた。岡山方面への舟は、午前中に荷積みをし、落合で1泊した後、翌日岡山まで下る。その翌日荷を下ろし終わり次第戻って荷を積む。岡山からの帰り4日程度かかっていた。 江戸時代中期にあたる享保17年1732年)の『高田村絵図』に描かれ高瀬舟発着場は、現在の中国勝山駅の裏辺りであり、「浜」と呼ばれ岡山まで18里(約70.69km)、から年貢米積み出していたと思われる明治時代[いつ?]には370艘ほどが稼働しており、そのうち落合明治半ばにおける真島郡落合町、現・真庭市落合地区)に100艘、久世明治半ばにおける大庭郡久世村、現・真庭市久世)に30艘、勝山明治半ばにおける真島郡勝山町、現・真庭市勝山)には48程度の船が発着していた。 真庭市落合高瀬舟

※この「備中・美作の高瀬舟」の解説は、「高瀬舟」の解説の一部です。
「備中・美作の高瀬舟」を含む「高瀬舟」の記事については、「高瀬舟」の概要を参照ください。

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