保存小史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 14:34 UTC 版)
明治から昭和初期にかけて、洋犬の移入や交通の発展によって雑化の進んだ時期は、日本犬絶滅の危機であった。明治以来、舶来万能の風潮によって、輸入された洋犬による日本犬の雑種化が、全国で意図的に行われた。そのため、大正末期までには、純粋な日本犬は、特に都市部ではほとんど姿を消してしまった。 当時内務省にあった史跡名勝天然記念物保存協会とともに、この現状に危機感を抱いた斎藤弘吉は、日本犬の復興を呼びかけ、1928年(昭和3年)6月に日本犬保存会を創立して、保存運動を展開した。1931年(昭和6年)から1937年(昭和12年)にかけての天然記念物指定が、この運動の追い風となった(国粋的な物を尊ぶ当時の時流がもう一つの追い風となったが、保存されたのは猟犬だけだった)。 また、物資の不足から犬の撲殺・毛皮の供出が求められた太平洋戦争末期は、日本犬にとって第2の受難の時期であったが、有志の情熱と努力によって、日本犬の血は絶えることなく継承された。
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