依佐美送信所長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)
対欧州向け通信局である依佐美送信所は、愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市)に1929年(昭和4年)3月に完成した。同年4月15日から実際通信を開始した。当時短波も検討されたがまだ信頼に足りないという事でメインは長波の送信所として広大な土地に長波用無線アンテナが立てられ大規模な無線送信機が装備された。その後短波を使用すると予想以上に好調であり、長波、短波併用して運用された。現在はフローラルガーデンよさみという名前で公園化され、その一部に依佐美送信所記念館が残されている。ここには当時の送信所施設の一部が常設記念館として展示されている。 嘉一郎は1929年(昭和4年)8月12日付で日本無線電信株式会社の社員になり、依佐美送信所長を命じられた。その後1938年(昭和13年)3月日本無線電信株式会社が国際電気通信株式会社に改組され、本社の監査課長を命じられて東京に帰京するまで9年間、依佐美、その後大阪で単身赴任生活を行った。
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