依上の合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/02 16:05 UTC 版)
成綱は佐竹・岩城両氏を滅ぼすために、さらなる追撃をかけた。宇都宮成綱・忠綱父子は八溝山地を越え、このまま常陸国に侵攻し、両軍は常陸国依上保で対峙。ここで一戦している。依上保は元々は白河結城氏の領地であったが、永正7年 (1509年) の永正の変以降は、佐竹義舜が侵攻し、佐竹領となっていた。この地でも宇都宮軍が勝利し、佐竹・岩城連合軍は敗北し、撤退している。
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