佐屋路の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:14 UTC 版)
佐屋路は寛永11年(1634年)将軍家光の上洛の時、佐屋宿と万場宿が設置されたのが始まりとなる。佐屋路は、尾張初代藩主である徳川義直が開いた道といわれている。 佐屋宿は、佐屋村だけでは伝馬役の負担を賄いきれなかったため、須賀村、依田村が「加宿」となり佐屋宿とした。佐屋宿と同時に万場宿が置かれた。万場宿は、庄内川に渡船(万場の渡し)が必要であったため、中間の宿駅として設置された。寛永13年(1636年)に岩塚宿が設けられたことの記述が『地方古義』にあり正保4年(1647年)に神守宿が設けられた。万場宿と岩塚宿は庄内川をはさんで向かいあい、人馬継立も一か月15日交代でおこなっていた。両宿の間の庄内川は万場の渡しで結ばれており、『尾張名所図会』にその様子が描かれている。 佐屋路の設置および整備は尾張藩によって行われていたが万治2年(1659年)、幕府に道中奉行が設けられ、五駅便覧によると明和元年(1764年)、佐屋路は例幣使街道本坂通とともに道中奉行の管轄となった。 天保14年の『佐屋路宿村大概帳』によると、渡し場のあった佐屋は本陣2軒、脇本陣2軒であったが、他の宿駅は本陣一軒であった。
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