佐倉地区の路線の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:47 UTC 版)
「ちばグリーンバス」の記事における「佐倉地区の路線の成立」の解説
ちばグリーンバスは京成電鉄からの分社化により設立した会社であるが、その京成としての佐倉地区のバス路線は地元の事業者の買収により成立したもので、最初の路線ができたのは大正時代にまで遡る。 佐藤信之『房総の乗合自動車』(崙書房)によれば、「佐倉駅周辺のバスは大正時代に佐倉駅近くの兼坂旅館による兼坂自動車(のち佐倉自動車)が千葉〜佐倉および支線の並木〜岩富を開通したことに始まる」とある。ここでの岩富は現・岩富バス停ではなく岩富町付近、すなわちバス停では町方あたりを指す。その後、昭和になって岩富(=町方)支線が八街まで延長(現在のちばフラワーバス八街線の原形)され、のちに佐倉に至る線も成田まで延長された(この時点では成田鉄道=現・千葉交通は千葉まで路線を乗り入れていない)。 その後、佐倉自動車の全線は成東自動車(京成電鉄成東営業所を経て、現:ちばフラワーバス)に譲渡された。これ以後、佐倉のバスはしばらくの間成東に営業所を置くことになる(佐倉に分車庫に相当するものがあったかどうかは、資料がないために不明)。そして、終戦前年の1944年(昭和19年)には成東自動車が京成に買収されることとなり、佐倉地区のバスも同様に京成に移った。従って、佐倉地区の京成バスは当初から独自の営業所があったわけではなく、まずは成東営業所の管理のもとに運行されていた。 詳細は「ちばフラワーバス#両総自動車から京成電気軌道へ」および「京成電鉄#都心延伸から終戦まで」を参照
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