伴氏・佐伯氏・和気氏・百済王氏とは? わかりやすく解説

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伴氏・佐伯氏・和気氏・百済王氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 07:22 UTC 版)

氏爵」の記事における「伴氏・佐伯氏・和気氏・百済王氏」の解説

江家次第』では伴氏佐伯氏については宮殿の門を守る氏族であること、和気氏百済王氏については功臣末裔であることが氏爵対象であることとされている。これら四氏の氏爵が行われたことが明白な最古の記録は、『本朝世紀』による治暦4年1068年)の後三条天皇即位の際とされる。ただしこれ以前にも即位に際してこの四氏の人物従五位下授けられる記録があり、田島公天慶9年946年)の村上天皇即位時には四氏への氏爵が行われており、更に遡れる可能性もあるとしている。 四氏の氏爵推挙実態はほとんど記録残っていないが、応徳3年1086年)の堀河天皇即位時には百済王氏百済王基貞に氏爵授けられるよう求めた申文残っている。署名したのは基貞以下6名の百済王氏一族と、3人の人物が基貞の血統証明するとして与判をしている。また伴氏氏長者は別々の二名それぞれ別の候補者推挙した「挙」を提出し一名のみが叙爵された。 延暦3年784年)にはじまった朔旦冬至の際の氏爵当初従五位下出していない氏族対象であったが、10世紀頃からは和気氏百済王氏限定されるようになった室町時代宝徳元年1449年)の朔旦冬至の際にも和気氏百済王氏の者に氏爵授けられている。大嘗会の際の氏爵仁安3年1168年)を最後に確認できなくなった。四氏に対す氏爵の終見の記録は、明応9年1500年)の後柏原天皇即位の際の記録である。

※この「伴氏・佐伯氏・和気氏・百済王氏」の解説は、「氏爵」の解説の一部です。
「伴氏・佐伯氏・和気氏・百済王氏」を含む「氏爵」の記事については、「氏爵」の概要を参照ください。

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